天才はこう考えた。「統治者が哲学者となれば法と正義で満たされ、市民の全てが幸福な生活を送れるようになる」
天才の日常~プラトン<第3回>
別れ際の言葉とプラトンの最後
ディオニュシオス二世は別れ際に「あなたは哲学者の仲間たちに私のことをさぞかし悪く言うのでしょうね」と言った。それに対してプラトンは「いや、アカデメイアでは他の議論に事欠きませんから、あなたのことまで口にすることはありません」と答えたそうだ。プラトンの失望と怒りが滲み出た言葉である。
その後、ディオンは兵力を率いて蜂起し、一時はシュラクサイの実権を握ることに成功するが、やがて暗殺されて、シュラクサイは再びディオニュシオス二世の支配下に置かれることとなった。
再びアカデメイアに戻ったプラトンは、最早政治に関わることはなく、最期まで哲学の講義、研究、執筆に打ち込んだ。
亡くなったのは81歳の時で、机の上で執筆をしながら死んだ、もしくは結婚式の宴に出席している最中に死んだと言われている。死後、プラトンの遺体はアカデメイアに葬られた。
アカデメイアはその後、東ローマ皇帝ユスティニアヌス一世が閉鎖を命じる紀元529年まで、約900年もの間続いた。ローマからアテネに留学したキケロは、プラトン的な哲学を元にしてラテン語で多数の著作を残したが、やがて中世、近代のヨーロッパ文化の大きな源流となっていった。
プラトン自身の政治への挑戦は失敗と挫折に終わったが、政治に関わる者は理性的で正義に従う人物でなければならないとする考え方は、西洋の政治の在り方の基礎となっている。
プラトンの著作は尊敬するソクラテスの思想を何とかして書き残そうとする執念に満たされていた。その理想国家論は、ソクラテスを殺したポピュリズムへの反発に基づいているが、約2400年経った現代でも続いているポピュリズムを見たらプラトンは何を思うだろうか。
【前篇 不朽の名著「国家」が生まれるまでにあったプラトンの葛藤】